「配慮」の現れ
ゴールデンウィーク真っ只中、
先日は神戸の繁華街で終日現場作業していましたが街は賑わっていました。
駐車場には県外ナンバーの車も多くて、観光客も戻って来たようです。
ニュースでは3年ぶりの何の規制もないゴールデンウィークと言っていました。
街に活気があると商売にも張りが出ます、頑張りがいがある。
同業者で話をしているとよくディテールの話になって盛り上がることがあります。
家具屋の間では『納まり』なんて言うこともある細かい箇所のことですが、本当に細かい。
「こっちは〇〇mm控えて、チリを〇〇mmにしている」みたいなことです。
細かい話ししてんなぁ、なんて思いますけど、どんな仕事でもそういうことってあるよなとラジオで自分の曲の説明をしているミュージシャンの話を聞いて思ったわけです。
曲を作るのも、パンを作るのも、カレーを作るのも、コーヒーを淹れるのも、自分なりに積み重ねて来た経験が「やりかた」に現れていて、
それをよく「職人のこだわり」なんて言葉で書かれますが、僕の場合こだわりという言葉では腑に落ちない、作ることを仕事にしている人はみんなそうじゃないかな。
「こうした方がいいんじゃない?」の積み重ねが出来上がるものに現れるのであって、「こだわり」って言葉ほど頑固なものでもない。
もっと柔軟なもので、これでなければならない、ということはない。
と思う。
という考えがあるので「こだわりは?」と聞かれるのがとても苦手です。
自宅の照明にニューライトポタリーの電球をひとつ使っています。
こないだ寝る前に電気を消そうとしたら、ふと「電球が綺麗だな」と思って改めてじっくり見ました。
電球の半分が薄くミラーがかっていて、少しグレー、ロゴがさりげなく刻まれています。
それは「こだわり」の結果ではなく「配慮」の現れのように感じました。